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ツーレポ 白くらげ
京都←→竜飛岬 65時間耐久

ニフティーで発表したツーレポです。

1997/09/21 AM3時になんとなく目が覚めてごそごそバッグに着替えなどを積み込む。さほど大きくない振り分けバッグで、片方に合羽なら三つ入れると満杯くらい。4時に家を出て、西大津バイパスから間違って湖西道路に入ってしまう。標識悪い。すぐに有料道路を降りてR161を行く。すでに数台の車の列が形成される。マキノ町のあたり5時頃、携帯していたねずみ取り警報機が鳴る。コンビニの自動ドアか何かに反応したのかと思ったが、早朝から本当にねずみ取りをしていた。
敦賀ICから北陸自動車道に乗る。100km毎に休憩をとりつつ、北行するが、黒部、朝日を過ぎるとトンネルの連続で、わかっていてもうんざりする。また、新潟がとてつもなく大きい。新潟亀田で高速は終わるが、まだまだまだまだ新潟だ。R7を行く。

昼を過ぎて、もう午後だと気づいた頃山形に入った。村上、鶴岡、酒田などと標識があるが、今回は単なる通過県にすぎない山形の研究をしていないので、距離感がちっともわいてこない。ようやく鳥海ブルーラインの南の道の駅についたのは16時を過ぎていた。

鳥海ブルーラインを登るとすぐに小雨が降ってきた。今日は、まだ太陽を見ていない。ようやく最高所に達するが、庄内海岸とおぼしきラインと象潟と思われる平野部がうっすら確認できるだけで、視界悪く、残念に思った。でも、とにかく来たぞ。
象潟の駅前に行ってみると17時前後になっていた。駅前の旅館に泊まろうかと思ったが、その時点での到達が最低の想定の到達で、この分だと竜飛に行けないかもしれないと思い、秋田市を目指す。

前を行く車のしぶきを霧状に受け、対向車のライトでギラギラするシールドを何度も手で拭いながら、秋田駅付近に着いたのは20時前。安そうなビジネスを探すが、なかなか見つからない。発見した3件目のホテルに入る。
部屋にはいるとシャツの襟が真っ黒になっていた(いつものことだが)。レストランで食事する。酔った秋田の人が大声で喋っているが1/3は訛りが強くて不明。「とうほぐ」にきたんだな〜、と感じた。

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秋田市のホテルで目覚めたのは7時で、食事をして出たのは8時過ぎになってしまった。今日は曇りでも良いから雨よ降るな!
秋田市から7号線〜県道56号を北上する。これは標識が分かり易くて助かった。月曜なので基幹道路は混雑しているが、観光道路?はそれなりに空いている。
海沿いの平野部は、海からの風から町を守るためか、よく松が植えられている。ここ、秋田の海岸の松はやや細いものが、1m以下の間隔でびっしり植えられてる。みんな風で陸の方に傾いている。視界が広く気持ちがいい。
だんだん太陽も出てきた。

ほどなくR101と接続し、男鹿半島の南の入り口の「なまはげ神社」(観光用?)に至る。
海岸沿いを行く。しばらくパトカーが先導する。ネズミ取りよりこっちのほうがずっと安心できて安全である。海沿いの道が再び県道になるとパトはいなくなっていた。今日は「加茂青砂」(かもあおさ)というところに是非行きたい。ここの小学校の先生がインターネットでホームページを作っていて、そこの景色がとても美しかったのだ。
標識を見て左折、浜辺の小さな小さな集落に至る。加茂青砂の浜辺は、なんだか赤っぽい。岩も赤っぽい。近づくと小豆色のジャリ浜であった。ジャリ浜の中の小豆色の岩々の中に青(緑)色の岩があり、それが小豆色とコントラストをなしていて大変美しい。(この色の岩は別のところでも見つけた)。
集落の突き当たりは「カンカネ洞」と言い、日本海風の奇岩に巨大な穴があいている。説明看板によると、此処で途絶える道を先に行くため、この巨岩にカギ状の金具を引っかけてよじ登るように行ったので、昔は「カギカケ洞」と呼んでいた云々(うろ覚え)とか。
小学校を見て、次へ行く。次は「八望台」である。これはたまたま寄ったところだが、ここからの眺めは素晴らしかった。雲が去り晴れていたこともあったが、大気も澄んでいて遠くまで眺望でき、なるほど名にふさわしい。ここには、木製の展望台が造られていて、登ってみた。すると、駐車場からは見えない「潟」や港も見渡せた。車できていた観光客の多くがここに登らず、駐車場内のみで帰っていったが、「もったいない」とはこのことである。

この後、入道崎〜R101(寒風山には寄らず)〜と北上をもくろむが、R101がどんどん細くなり、能代の前でR7と一緒になるため(そのことが頭になかった私は)すっかり混乱してしまい、平野部を迷走することになった。

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なんとか、R101に戻り再び海岸に沿って北上する。いったん内陸部になり、八森町あたりから再び海岸線を行く。
 「これが五能線かぁ」
と気持ちの良い景色を眺めつつ、時間を気にしつつ、時折横断する老婆を避けながら走る。なんだか楽しそうな温泉が次々と出てくる。あの不老不死温泉の看板もある! しかし、男鹿を出たところで迷走し時間を食ったため、歯を食いしばって先を急ぐ。男鹿でウニ丼という思いもあったが、まだ午前中だったので竜飛のウニに期待して何も食べなかったので、腹が減ってきた。
距離感がないせいもあって、青森県に入ってから長い! 「十三湖」はコッチ、という標識のみを頼りに走るが、ちっとも十三湖までの距離が縮まらない。ようやく鯵ヶ沢に至る。
話は前後するが、私が予め知っていた地名は、車力、小泊、十三湖、竜飛、青森、弘前、八戸、下北半島だけ(もっと研究しろよ)だったので、五所川原とか鯵ヶ沢とか深浦とか言われても・標識を見ても地図上のイメージが全くない。時間はどんどん過ぎるので降りて地図を見ようということが思いつかない。この道が正しいはずだということだけである。
鯵ヶ沢にいたってようやく地図をみて、屏風山広域農道を行くことにする。県道12号「十三道」と平行して西を走る道である。これは良かった。ほとんど見える限り直線で、信号がなく、快走できた。マップルでは「色」がない、白い道だが景色もそこそこ良かった。何より時間が稼げた。
十三湖の西を通り小泊を過ぎ、竜泊ラインと呼ばれるところがやや難儀した。工事中だったのと、カーブが多かったのと、何より、疲れてきたのが祟ったのだ。

竜飛に至る。例の風車がグルン・・グル・グルリンと回っている。今、地図で見ると、国道より更に北、北限まで道がある。? 灯台が竜飛の北限ではないの?
ま、いいか。何より、あの有名な「階段国道」をこの目で見たかったのだ。そしてそれはあった。昔のモーターサイクリスト誌に、階段国道を登り切ると食堂があって、ウニ丼1000円也云々という記事があったので、今日はそれを食わねばならない。昼食抜きでもう16時だ。食堂は汚れたガラス戸で、外から中が見える。近づくと、簡易なテーブルが見えてきた。更に近づくと、白いカバーをしたマル椅子が四つづつ・テーブルの上に逆さにのせてある。さらに近づくと、中のコンクリの上に古い郵便物がたい積していた。ガビーン! つぶれてる!? 
手でガラスの反射をさえぎり中をのぞくと「竜飛定食」「うに丼」などの手書きの品書きが色あせた紙に書いてあって、風のない室内で空しくそりかえっていた。

しかたなく、灯台の方に行く。灯台より手前の展望台が食堂になっていて、「生ではなくて蒸しウニですが、いいですか?」「いいです、いいです」、と竜飛でウニを食すという計画は、消え去ったかに思われた数分後には満たされたのであっ
た。久しぶりに塩漬けでもアルコール漬けでもないウニは蒸しウニといえどもうまかった。
焼いたホタテを食しつつ、灯台や、その先の旧海軍監視所やらの見学をする。
駐車場に戻るとオフ車の若い衆が一人。尋ねると京都から来た学生だと言う。7日かけて、高速を使わずに来たと。うらやましい。うらやましいを連発して、もう、?時過ぎてる! 東北自動車道に乗るべく青森を目指す。

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ひたすら帰る。明日、23日中に自宅に帰らねば24日は仕事なの。
ウォーッと南下する。が、寒くて寒くてたまらない。
ガソリンスタンドのオヤジさんによれば、8月20日を過ぎると肌寒い時があり、
9月も後半になれば朝夕ストーブを入れようかとさえ思うという。真偽は別として、
寒い。
青森市内でウインドブレーカー(原付用?)を買って重ね着をし、
タオルを首に巻いてようやく、ふるえずに走ることができた。
(上半身は下着・綿シャツやや厚め・トレーナー・ゴアジャケット、下は、ジーパン+カッパだった)

東北自動車道に乗ってからは寒さに加え、空腹、睡魔、疲労との
闘いであった。
SAで何度も数十分ずつうつらうつらしては、走るを繰り返した。
「フロに入りたい!」
午前0時頃はこのことばかり考えていた。風呂に入れば肩の筋肉痛も
すこしはやわらぐだろう。
仙台の北、古川あたりのSAでタウンページを見たが24時間の風呂屋は付近にない。
次のICは仙台というSAのタウンページは、そこは仙台ではないので、
仙台の電話番号は載ってなかった
次の仙台直前のPAも仙台ではなかったので仙台のタウンページではなかった! 
バカヤロー! 高速を降りられないPAでそこの地域の電話番号見ても意味ないだろ! 
次で降りるICの町の電話帳を置いとけよ! ハローダイヤルも営業終了。
しかたなく、寒いベンチで1時間ほど眠る。
どこだかわからないが5時に目をさまして、腹をくくって、
バイクにまたがり東京を目指す。11時半に東北自動車道を降りた(埼玉)。
首都高速で道を間違えるかも知れないと思ったのと、
小銭がなかったので支払いが発生したとき困ると思ったからだ。
(東北道−首都高−東名道は料金所は1回で済むのかな?)

東京は道がわからない。迷走する。東名の東京インターを指示する
国道246の掲示は不親切である。川崎まで行ってしまった。

再び睡魔、左肩筋肉痛(やたら左肩が痛い。
片手運転で緊張をほぐしたらだいぶ楽になった)と闘いつつ走り、
20時には京都市内に入ることができた。

しまい。