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平戸大橋のたもと、本土側を田平町という。その東は松浦市御厨(みくりや)町とい
う。両方の町に住んでいたので、友達の家を訪ねてみた。
田平の町は坂がちで、狭い。20年以上経って訪れると「こんなにも狭かった
のか!」と驚いてしまう。地図にも載っていないような漁港の漁師の友達の家
を探してみたが、民宿や酒屋をやった跡が認められたものの、どの友達の家も
廃屋のようになっていた。ブリの養殖の餌をつくるミンチの機械も、網も見あ
たらなくなかっていた。道ばたで老人が魚を干しているだけだ。
今度は御厨の町に行ってみた。国道から数メートル引っ込んだところに酒屋を
営んでいた家の息子氏は小学校で席順が並んでいたので、よく覚えていたのと、
家業を継いだかもしれないと思い、訪ねてみると、彼の家は国道沿いのコンビ
ニになっていた。
再会を彼も喜んでくれ、店の車で小学校やら、昔住んでいた住宅やらを連れ回
してくれた。町はたんぼや畑が農業でやっていけなくなったためか、宅地にな
っていた。遊んだ雑木林も宅地化していた。
彼の話では、友達は3分の1くらいは残っていて、ときどき彼の店に買い物に
くるのだそうだ。
それにしても、広くて・遠いと思っていた町や学校、渡るのが怖かった大きな
国道、走っても走ってもなかなか端につけない広い田畑、運動会が近づくとグ
ルグル走った公営住宅の道路、どれもこれも、どこもかしこも狭くて・小さく
て泣きたくなるほどみすぼらしかった。
でも、まだ友達が住んでいるという。また来るよ、と挨拶して、世知原(せち
ばる)町に向かう。世知原高原はお茶が名産。今住んでいる京都で普通に売っ
ているお茶はプレスした茶葉だが、ここ世知原の茶はまだ「手もみ」風でうま
い(と私は思う)。(三重県の中学生が京都に修学旅行に来て、宇治茶を買って帰ったら、中
身は三重の近所で作ったものだったという話を聞いたことがある。)(付記:宇治で加工すれば宇治茶なのだそうだ。)
世知原茶をみやげに買って、佐世保に向かう。
つづく
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