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初フェリー 98年9月/8
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 山口市に行く車は少なく、防府のほうに行く車の方が多い。
 宿を求めて山口市に。
 中心部は観光・生活の匂いが無く(湯田温泉まで行けば良かったのか?)、 ホテルもあまり見あたらず、仕方がないのでICを降りたところの新しい ホテルに泊まる。

23日
  今日は帰らねばならないが、すぐ帰るには早すぎるので、山口市内の瑠璃光 寺五重塔や常栄寺庭園などを見物。
 瑠璃光寺横の「露山堂」という茶室には、言葉だけは耳にしたことがある「 水琴窟(すいきんくつ)」があり、初めてその音を聴いた。なかなかに風雅。 茶室の入り口などにある「つくばい」「手水鉢」の横にある溝 の入り口のようなところに「水琴窟」が仕込んであって(仕込むという言葉 が適切かどうか?)、つくばいを使うことにより水が排されると、ピコン・ ピコンという水滴の音が静けさを一層引き立てる、という具合。
 小京都と言われるだけあって、風雅な都市であった。
つづく
さて、まだお昼なので、もう一つの小京都「津和野」に行ってみる。国道を 使うのもつまらないので、長門峡を通っていく。 マップルに紹介されているとおり、山口県内の少なくとも山間部のガードレ ールはとことん黄色い。ワイヤーのガードレールも支柱が黄色い。山口市を 北上し旭村・川上村・むつみ村・阿東町まで、おだやかでそろそろ秋の気配 の渓谷・集落を抜ける。阿東町の隣が島根県「津和野町」である。とたんに ガードレールは白くなる(やっぱり白が好きかな?)。 一度は見失った県道13号から津和野に入り、和紙の手漉きの実演など見学 する。津和野も初めてで、どんな町なのかわからない。駅の方に行ってみる と観光客もやや多くなっていた。ここで、バイクの停めやすい料理屋に入り 鯉のあらいと鯉こくのついた定食を頂く。葉わさびのしょうゆ漬けなるもの も初めて頂いた(これは気に入った)。食べ物では、鯉、わさび、ツワ、な どが名物でお菓子は「源氏巻」。 お菓子の由来説明では、  > 頃は元禄。津和野城主、亀井茲親が勅使接待役を仰せ付けられた時の  > こと。吉良上野介に指導を願ったが、なかなか教えられないことを怒  > った亀井茲親は吉良を斬る覚悟をした。それではお家の一大事と、家  > 老の多湖外記は吉良に様々な進物を送った。その中の菓子に”源氏  > 巻”と名付けたのがはじまり。 みやげもの屋のおねいさんの話では、そもそもはこの、あんこをカステラの 薄焼きでまいたようなお菓子の箱の下に小判を忍ばせて贈ったことで、事な きを得たとの由。それにしても吉良って人は、他藩の藩主の恨みをよく買う ね。 さて、津和野のガイドマップを見ると森鴎外居宅跡と、西周居宅跡とがここ 津和野にあるらしい。philosophie を「哲学」と訳したのも西である。当然 行ってみた。が、西宅は改修中で再来年にならないと見られない。残念! 鴎外が幼少から21歳まで過ごしたという居宅は100円で見ることが出来た。 津和野は出来ればバイクを降りて、歩いてまわって感じ入るのが良い町のよ うで、次にくるときはそうしようと思う。 そろそろ帰る。と、気が付くと金木犀の香り。高等学校からは女声コーラス の練習の声(文化祭が近いのか?)。県道を柿木村に抜けると家々に金木犀 が植えられているのか、あまい香りが漂って気持ちが良かった。(今年は、 台風であの三島の金木犀を楽しみに行けなかった。まだ間に合うのか?) 六日市から中国自動車道に乗って帰った。岡山あたりから雨となり、台風の 影響が思われた。つくづく台風を避けることが出来てラッキーな旅だったの だと思った(夜雨の高速は毎度のことながら緊張した)。 一気に(休憩もあったけど)京都まで走って帰宅が21時過ぎていた。やっ ぱり最後の最後でヘトヘトになってしまった(風圧に耐えた首に感謝)。 長らくおつきあいありがとうございました。                        自在漂泊/白くらげ
 
 
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